ヨーロッパにおいては、第2図にあるように南下するインド・ヨーロッパ系の人々のうち、ギリシア人が3800年前ころバルカン半島に入り、ヒッタイト人は4000年前ころアナトリア高原を支配する。アーリア人は3500年前ころインダス川のほとりとメソポタミアに到達する。インダス文明の担い手であったドラヴィダ人は南東に追いやられる。メソポタミアのハンムラビ王朝はアーリア人侵入に先立ち、ヒッタイトの攻撃で3500年前ころ滅ぼされる。
アフリカにおいては、サハラ中央部で4000年前ころ、本格的な乾燥化がはじまったことは先に述べたが、このころアハガル台地にいたフルベ人がセネガルにむかっており、またサヘルへ南下する人の動きも報告されており、これらが乾燥化に追われた移動であったと推測される。
中国大陸においては、4000年前ころ、黄河の中流にいた苗人が漢人に追われ大挙して南下し、長江中流に移動したという説があり、第一部において特異な存在として注目した侗人も、もと中原にいたが、苗人に追われて南遷をしたという伝承があるという。
気候の変化が言葉をかえた―言語年代学によるアプローチ (NHKブックス)