宮崎市定『東西交渉史論』中公文庫 pp315-316

 かくして戦われた十字軍は、西アジアの後背地なる中央アジア、更にひいては極東アジアの地域にも大なる影響を及ぼさずにはおかない。第一に十字軍は夥しい人口の消耗を伴った。悲惨な虐殺が絶えず繰返され、戦場においても戦士の身体がばたばたと倒されて行く。ヨーロッパ方が常にその援軍を本国に求めたように、トルコ方も不断に軍人を補充して行かなければならない。そして人的資源は、セルジュク王朝が進んできた道筋に沿って東方国境から送りこまれた。東から西へ、絶えず人員を引きぬかれると、東方には人員希薄な、いわば真空地帯が出現する。するとそこへは更に東方から別種のトルコ人が侵出する。セルジュク王朝が衰えた11世紀の後半、中央アジアに出現した強国、フワリズム王朝はこのような動きの中に成立したのであった。
 モンゴル民族の興起も亦、トルコ族の西方移転が引き起こした波動の一として見ることができる。

東西交渉史論 (中公文庫)

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