新井政美『オスマンvs.ヨーロッパ』講談社選書メチエ pp.107-108

 11世紀の後半以降、ヨーロッパは農業生産力の増大と、それに支えられた人口増とを経験する。そしてそうした発展は、ヨーロッパに、イスラム世界に対する従来の劣等意識と恐怖心とを反発と敵愾心とに転化させる背景を準備した。こうして世紀の末にはイベリア半島でレコンキスタ運動が大きく進展し始め、さらに東方へ向かっては十字軍が組織されるにいたるのである。とくに相次ぐ十字軍の出撃と並行して、ジェノヴァ、ピサなどのイタリア諸都市が、聖戦意識に支えられて地中海の再キリスト教化を目指す活動を担うことになる。彼らはすでに世紀の前半に、サルディニアやコルシカを奪回する成果を上げていたが、十字軍の開始とともにその輸送業務を引き受けて、東方への進出を始めていったのである。やがてかれらはその活動を商業中心に切り替え、ヴェネツィアの強力なライヴァルとなってゆく。
 また12世紀には、ヨーロッパにおいて香辛料への需要が、熱狂的とも言える高まりを見せ始める。人口を増やした肉食の人々が、限られた塩漬け肉で冬を越すために――あるいは乾した魚をそのままで食べるために――胡椒、丁子などの防腐効果と消臭作用とは必須のものであったろう。こうした事情に後押しされ、イタリア諸都市は利幅の大きい商品を求めて、東方へ乗り出してゆくのであった。
 当初彼らは紅海からインド洋へ出るルートの掌握を目指したが、後にはイラクからペルシア湾へ、または黒海からタブリーズを経てホルムズへ出るルートを開拓、確保しようとした。そして13世紀、こうしたルートへ東方から新たな驚異が襲いかかる。

オスマンVS.ヨーロッパ (講談社選書メチエ (237))

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