白石隆『海の帝国』中公新書 pp.4-5

 この当時、ヨーロッパはナポレオン戦争のさなかにあり、オランダはフランスの支配下におかれていた。アフリカ南端、喜望岬からセイロン、ジャワをへて長崎の出島に拡がるオランダの海上帝国はこの時期、イギリスによって解体された。1795年、オランダがフランスの同盟国としてイギリスに宣戦した直後、イギリスは喜望岬、セイロン、マラッカを占領した。ついで1806年、ナポレオンがその弟、ルイ・ボナパルトをオランダ国王に任命し、1808年オランダ人ジャコバン党員、ヘルマン・デーンデルスを東インド総督としてバタヴィア(ジャカルタ)に派遣したあとには、イギリスはジャワの海上封鎖を行い、1810年には、イギリス東インド会社理事会の訓令を受けてカルカッタの東インド総督ミントー卿はジャワ占領を決意した。

海の帝国―アジアをどう考えるか (中公新書)

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