高坂正堯『現代史の中で考える』新潮選書 pp.141-142

 私の外交史の理解からすれば、オーストリア・ハンガリー帝国というわけのわからん帝国がありました。民族国家でもなく、ただよくわからないがミッションがあった。トルコに対抗するとか、ヨーロッパの勢力均衡を維持するとか、ロシアの野蛮さを懐柔するとか、そのミッションにより周囲から支えられて、ようやく第一次世界大戦までもったのがオーストリア・ハンガリー帝国だったのですね。
 つまり、そこに緩やかな連合体というものをつくったわけです。その緩やかな連合体があったときは、ある種の文明があった。19世紀半ばに民族独立運動が非常に盛んになります。1848年はそうした運動が一斉におこったときなんですね。ハンガリーも強力に運動を進めます。1848年の革命というのはバタバタとおこった点で最近の動きに非常に近い。しかし、バタバタと終わった点では異例のものです。おこって1ヵ月もしないうちに皆成功して、それから6ヵ月もしないうちにみな潰れた。それが歴史の本に書きますと、1848年の二月革命は時期を画した、となるわけです。実際問題として、あれほど壮大な規模の失敗というものは、そうそうあるものではありません。
 ただ、人々の意識を変えたことは事実です。本当は、そのように記すべきですね。で、そのときに最後まで懸命に抵抗したのがハンガリーです。ハンガリーだけが頑張った。可哀想なことに、ハンガリーはオーストリアとロシアの挟み撃ちになり消えます。しかし、そのとき頑張ったことが、状況の変化により、1867年に主権を与えられるということに繋がります。同じように、1956年もハンガリーが先に血を流して戦います。興味深い宿命ですね。

現代史の中で考える (新潮選書)

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