大陸封鎖でイギリス、フランスともに一番困ったのは、酒と砂糖の輸入である。
ブドウを栽培するのに適さぬ風土のイギリスは、主にボルドーからのワイン輸入に頼っていたが、これが不可能になったので、ワインに代わる酒の開発を強いられる。大麦から作るウイスキーがそれである。大麦はもっぱらビール醸造に用いられていたが、この大陸封鎖をきっかけに、スコットランドなどで伝統的に行われていた麦芽汁を蒸留する方法が見直され、ウイスキーがワインの代わりにイギリスでも飲まれるようになった。これがスコッチであることはいうまでもあるまい。
これに対し、フランスでは、西インド諸島からの砂糖の輸入が止まったため、人々はいろいろと知恵をしぼって、サトウキビ以外の材料から砂糖を精製する方法を考えざるをえなくなる。ナポレオンは懸賞を出して新たな砂糖精製法を募ったが、それに応えるかたちで登場したのがテンサイ(砂糖ダイコン)から砂糖を作り出す方法である。これによって、フランスは砂糖不足をなんとか克服することができたが、しかし、ナポレオン戦争が終わると、テンサイ砂糖は、輸入が再開されたサトウキビ砂糖との競争に太刀打ちできなくなり、今度は、そのテンサイ砂糖の効率的利用法が模索される。ここから生まれたのが、テンサイを原料とするホワイト・リカーで、これに果実や花のエッセンスを封入したものが世紀末に流行するリキュールとなるのである。
いっぽう、大陸封鎖の期間中、西インド諸島では販売先を失った砂糖をどうするかという問題が起こっていた。サトウキビは放っておいても毎年繁るので生産調整するのが難しい。いっそ、サトウキビの絞り汁を蒸留して酒にするラム酒のほうに生産をシフトしたらどうか? 予想通り、ラム酒は、フランスからのワインの輸入が途絶えていたアメリカで大歓迎され、以後、砂糖と並ぶ西インド諸島の主要な産品となるのである。
こうして見てくると、ナポレオンの大陸封鎖は、グレートブリテンでも、フランスでも、また西インド諸島でも、蒸留酒誕生のきっかけとなり、今日のスピリッツ文化を生み出す背景となったということができるのである。
ナポレオン フーシェ タレーラン 情念戦争1789―1815 (講談社学術文庫)