中国においては後漢時代から、豪族による荘園の開発が進行したが、それが土地に関するかぎりでは、新資源の開発を意味する。しかしながらその労働力は、国家の公民をつれ去って私的な隷農として働かせたものである。人民の数はそれほどふえず、むしろ悪政や天災のために減少したと思われるときに、荘園が盛行すればそれだけ、国家の公民は減少をきたすのである。
このことはふたつの結果をもたらす。そのひとつは国家財政の貧困であって、租税負担者が少なくなれば、それだけ歳入はへることは見やすい道理である。
つぎには兵役負担者の減少である。これも国家の公民が少なくなれば当然起こる結果にほかならない。そこで政府は、中国人を使用するよりも効率の高い方法として、異民族を軍隊に採用することとした。かれらは生活程度が低いので、給与も小額ですますことができる。また日常が放牧生活なので騎射に巧みであり、戦士として優秀な素質をもっている。かくして軍隊がまず異民族化されたのであった。
しかしながら異民族を軍隊に用いることは、一歩誤れば重大な結果をひきおこす。とくに戦争がながびくばあい、かれらはしだいに自己の力量を自覚し、他人の傭兵として働くことに満足せず、自分自身のためにその武力を使用しようとするのはきわめて自然なことである。
このようにして中国では、董卓、呂布にひきいられた異民族騎兵、いわゆる胡騎の内戦参加にはじまり、八王の乱における胡騎の利用を経て、匈奴部落長劉淵一家の独立、その中原征服へと事態は急速に進展したのである。これとほとんど同様なことが、ローマ帝政末期にヨーロッパにおいて継起していたのである。
もうひとつ忘れてならないことは、ほかにも中国とヨーロッパとに共通した類似的環境が存在したことである。それは両者ともその隣人として、もっと文化の古い、社会組織の進んだ西アジア地域をひかえ、たえずこれと交通し貿易をつづけてきたことである。おそらく普遍的な原則といえそうなことは、先進地域と後進地域とが貿易するとき、先進地域が出超となり、後進地域が入超となる事実だ。いずれの時代、いずれの地域においても貿易の決済は貨幣をもってなされねばならぬ。そして正貨たる貨幣は金か銀かであり、銅は補助貨幣として用いられる。
さて中国が西アジアと貿易を重ねるうち、中国地域の正貨たる黄金はしだいに西にむかって流出した。正貨の減少はいずれの社会においても深刻な不景気現象をひきおこす。ここに正貨にたいする異常な愛惜が起こり、ひいて自給自足の荘園経済を盛行させる結果となった。これとまったく同様なことが古代ローマにも行われたのであって、それが中世世界へ展開していく大なる契機となったことは、よく世に知られるところである。
世界の歴史〈7〉大唐帝国 (河出文庫)