19世紀の前半、ドイツは数多くの諸侯が分立する国家であった。それが19世紀の後半に統一されえたのは、鉄道が発達し、ドイツ内の経済交流が盛んにおこなわれたからである。リストは、なによりも鉄道の敷設を強調した。また彼は、関税同盟の主唱者の一人であった。歴史は彼の主張の正しさを証明したのである。
ところが、それまでのヨーロッパの勢力均衡は、多くの人口を持つドイツ民族が分裂しており、比較的貧しい状況にあることによって安定していた。19世紀ヨーロッパの勢力均衡をウィーン会議で作った宰相メッテルニヒが、ドイツを分裂させておくためにいかに努力したかは有名な話である。しかし19世紀の後半、ドイツは統一され、その国民の勤勉さと組織力で工業化を急速度におしすすめることによって、豊かになった。それがヨーロッパの勢力均衡を破壊することになったのである。
しかも鉄道の発達は、これまでドイツにとって軍事的に不利であった地理的要因を、有利なものに変えてしまった。それまで、ヨーロッパの中欧に位置するドイツは、その国境を防衛することがほとんど不可能と思われるほどむずかしかった。ドイツの参謀本部の記録を見ると、19世紀の前半、彼らが国境の防衛にいかに頭を悩ましていたかがよくわかる。ところが、鉄道網が発達したため、ドイツはその国境のどこにでも、急速に軍隊を送ることができるようになったのである。それは国境防衛を可能にさせただけでなく、四方どこでも攻撃することを可能にした。言いかえれば、それまではどこからでもたたかれる国であったドイツが、どこでもたたける国になったのである。
国際政治―恐怖と希望 (1966年) (中公新書)