18世紀末から19世紀初めにかけて、純然たる商業会社から植民事業請負業者への比重をしだいに高めていくなかで、東インド会社営業部員たちは資産をもって本国に帰るものが多くなっていた。すべてがネイボッブといわれるほどの大資産をなしたわけではない。もちろん下院議員になるものなど、そのなかでもごくごく少数にすぎなかった。それでも多くの社員たちは相当の富を得て帰国しようと決意してインドに出かけたのだから、帰国した人たちはそれなりに富裕となっていった。少なくとも数百人のインド帰りの金持ちが、1800年ころのイギリスにいたといわれている。
そして何人かはロンドン周辺かイングランドの西部や南部に住んで所領を得、腐敗選挙区を買いとって下院議員となった。
このような腐敗選挙区を利用して、東インド会社関係者などの商業資本家や地主貴族がたやすく議席を得、政治を動かしたことに対しては、19世紀に入って産業資本家が抬頭してくると共に激しい批判が加えられた。その結果なされたのが、選挙法改正の動きである。
イギリス議会史上、第一次選挙法改正がなされたのは、1832年のことであった。東インド会社の貿易独占権が全面的に廃止され、商業資本家の会社としての存立基盤がくずされたのが1833年であったから、同じ頃に選挙法改正もなされたわけである。第一次選挙法改正は産業資本家の商業資本家に対する勝利を象徴する出来事だといわれているが、東インド会社の独占権廃止とにらみあわせて考えるとき、それはまさしく産業資本家の勝利を示すものといえる。
東インド会社 巨大商業資本の盛衰 (講談社現代新書)