中国が荘園の普及によって資源の開発が進むと、これにともなって通商圏の再拡大が起こってくる。それは戦国、秦、漢の時代よりも、さらに輪をかけた大きさのものである。はやい話が中国と日本との関係において、漢代にはやっと日本の存在が漢朝廷に認識されたていどであったのにたいし、隋唐になると正式の国交が定期的に行なわれ、民間の貿易も開始された。これによって起こったのは、中国の周囲からの中国にむかっての金の輸入である。中国はこうしてふたたび好景気時代を迎えることができた。その好景気の波にのって、中国の近代化が用意されるようになったのである。
これと似たような現象は中世末期のヨーロッパにも起こっている。中世的な通貨不足もそれがどん底まで落ちると、銀鉱の探索がはじまって、ドイツあたりの銀生産が急に増加した。それが呼び水となって経済界を刺激し、オリエントとの貿易が活発となり、まず好景気を迎えたイタリア沿岸都市から、近世的文化の光がさしはじめたのである。
世界の歴史〈7〉大唐帝国 (河出文庫)