松田壽男『アジアの歴史』岩波現代文庫 p.213

 さりながら、ここでどうしても想起してほしいのは、西アジアに現れた前記の三大帝である。年代順に並べると、オスマン=トルコのスレイマン大帝(1520-66)、ムガール=インドのアクバル大帝(1556-1602)、およびサファヴィー=ペルシアのアッバース大帝(1587-1629)にほかならない。火の消える直前に灯は一段と明るさを増す。そのように、この三大帝の時代は、イスラームの国々が転落の坂にかかる直前に示した強力の時期であった。したがって、アジアの海に進路を見出した西欧の国々も、この三大帝の統治に対しては手も足も出せなかった。いきおい彼らは、デカン半島の沿海部(マラバル海岸やコロマンデル海岸)とか、ビルマ、マレー、インドネシアなど、アジアの弱点をつき、ほとんど掠奪に等しい取引によって巨利を貪る有様にすぎなかった。
 それは前記の三大帝が、奇しくもイギリスのエリザベス女王(1558-1603)と、またロシアのイワン雷帝(1533-84)とも同時代であるという事実を考慮する必要がある。後者がロシアのシベリア侵略にとっての開幕者であったことは前述した。前者はイスパニアの無敵艦隊を破って、イギリスを七つの海の支配者にまで高める道をつくっている。

アジアの歴史―東西交渉からみた前近代の世界像 (岩波現代文庫)

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