松田壽男『アジアの歴史』岩波現代文庫 pp.208-209

 ところが十字軍は、この形勢を変えた。ビザンティン帝国はまもなく復興されたものの、その保持していた歴史的な立場は、完全に北イタリアの諸都市に奪われている。ヴェネツィア、ジェノヴァの海上活動は、最も顕著であった。そしてこれらの北イタリアの港市からアルプス越えでライン河に至る商路が、ヨーロッパの新しい主軸となる。北イタリア諸港市が営むレヴァント(シリア、レバノン、イスラエルの沿海部やキプロス島)貿易が盛大となり、イスラーム側との交渉も深まる。その結果、イスラーム側に温存されていた古典が伝わり「古学復興」を起こしてルネサンスへの途が開かれる。
 他方、十字軍が起こされた11世紀には、西地中海の情勢も変わっている。まず十字軍運動がはじまる70年ほど前に、ノルマン人のヴァイキングが地中海にまで及んで、1026年にシチリア島やイタリア半島南端部を奪い、植民を開始した事件が想起される。この部分が地中海の核心、俗にいえばヘソに当たるだけにイスラームにとっては打撃であったにちがいない。それから時代は降るが、第六次十字軍(1248-54)と第七次十字軍(1270)つまり最後の二回の十字軍は、フランス王のエジプトおよびチュニジアへの出兵の形をとった。このことは、十字軍としては気まぐれ的な事件として軽く扱われているが、実はフランスの地中海貿易への参加を意味し、マルセイユ港の復活につながったのである。

アジアの歴史―東西交渉からみた前近代の世界像 (岩波現代文庫)

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