松田道雄『ロシアの革命』河出文庫 pp.101-102

 「人民のなかへ」の運動は失敗した。農民は立ち上がらなかった。学生たちはこの大実験からまなぶべく反省をはじめた。いったい何だって農村に大挙してでかけたのか。パリ・コミューンがひとつのショックだったことはまちがいない。無名の大衆が国家権力に反抗して立ち上がり、短い期間ではあったが、権力をにぎった。
 ヨーロッパでできたことがロシアでやれぬことはない。パリ・コミューンをやったのは社会主義者だ。社会主義は19世紀の福音だ。ヨーロッパの社会主義の軍隊のプロレタリアは工場労働者だ。ロシアのプロレタリアは誰か。それは農民だ。ロシアの社会主義は農民によって実現されるだろう。学生らは、福音の使徒として農村に行ったのだった。

世界の歴史〈22〉ロシアの革命 (河出文庫)

松田道雄『ロシアの革命』河出文庫 pp.78-79

 ピョートル大帝がデンマークから帰化したヴィーツス・ベーリングに命じて北太平洋を探検させて以来、ロシアの毛皮商がアラスカに住みついていた。パウル帝がロシア・アメリカ商会にアラスカからカリフォルニアに至る海岸の狩猟権を与えていたが、乱獲でラッコが激減し会社の経営がうまくいかなくなった。クリミア戦争で財政難に陥ったロシア政府は、アラスカをアメリカ合衆国に売却することにした。その価格七〇〇万ドルが高いというのでアメリカの国会では大問題になった。ロシア政府はアメリカの新聞を買収して、けっして高くないといわせて、やっと1867年に商談を成立させた。
 ロシア人にアラスカを惜しがらせなかったのは、他方でどんどん領土がふえていたためである。ながく平定できなかったコーカサスを完全に領有したのは1864年であった。翌年きずかれた基地グラスノヴォットスクからコーカサス横断鉄道が敷設されてペルシアに向かった。そしてペルシアから多くの利権を得た。

世界の歴史〈22〉ロシアの革命 (河出文庫)

松田道雄『ロシアの革命』河出文庫 pp.13-14

 ゲルツェンらの世代にとって、デカブリスト事件は大きいショックだった。貴族が皇帝に反乱をおこした。そして刑罰からは除外されているはずの貴族が五人も絞首刑になったのだ。いったいデカブリスト事件とはなんだったのか。
1812年、モスクワに侵入してきたナポレオン軍の軍勢を焦土戦術によって逆転させたロシア軍は、追撃してヨーロッパにいたった。将校であった貴族青年は、自分の目で先制から解放された文明をみた。フランス語もドイツ語も自由にしゃべれる貴族は、町のなかで市民の自由を知った。ロシアは何というおくれた国か。このままでは、国の独立もやがてあやしくなる。専制政治と農奴制は廃止せねばならぬ。
戦争がおわって帰国した貴族青年たちは、改革について相談しあった。1816年、「救済同盟」という秘密結社がペテルブルクにつくられた。中心になったのは、ニキータ・ムラヴィヨフ、アレクサンドル・ムラヴィヨフ、セルゲイ・トルベツコイ公爵、ムラヴィヨフ・アポストル兄弟などであった。いずれも近衛師団の将校か名門貴族である。

世界の歴史〈22〉ロシアの革命 (河出文庫)

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