松田道雄『ロシアの革命』河出文庫 pp.78-79

 ピョートル大帝がデンマークから帰化したヴィーツス・ベーリングに命じて北太平洋を探検させて以来、ロシアの毛皮商がアラスカに住みついていた。パウル帝がロシア・アメリカ商会にアラスカからカリフォルニアに至る海岸の狩猟権を与えていたが、乱獲でラッコが激減し会社の経営がうまくいかなくなった。クリミア戦争で財政難に陥ったロシア政府は、アラスカをアメリカ合衆国に売却することにした。その価格七〇〇万ドルが高いというのでアメリカの国会では大問題になった。ロシア政府はアメリカの新聞を買収して、けっして高くないといわせて、やっと1867年に商談を成立させた。
 ロシア人にアラスカを惜しがらせなかったのは、他方でどんどん領土がふえていたためである。ながく平定できなかったコーカサスを完全に領有したのは1864年であった。翌年きずかれた基地グラスノヴォットスクからコーカサス横断鉄道が敷設されてペルシアに向かった。そしてペルシアから多くの利権を得た。

世界の歴史〈22〉ロシアの革命 (河出文庫)

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