松田道雄『ロシアの革命』河出文庫 pp.13-14

 ゲルツェンらの世代にとって、デカブリスト事件は大きいショックだった。貴族が皇帝に反乱をおこした。そして刑罰からは除外されているはずの貴族が五人も絞首刑になったのだ。いったいデカブリスト事件とはなんだったのか。
1812年、モスクワに侵入してきたナポレオン軍の軍勢を焦土戦術によって逆転させたロシア軍は、追撃してヨーロッパにいたった。将校であった貴族青年は、自分の目で先制から解放された文明をみた。フランス語もドイツ語も自由にしゃべれる貴族は、町のなかで市民の自由を知った。ロシアは何というおくれた国か。このままでは、国の独立もやがてあやしくなる。専制政治と農奴制は廃止せねばならぬ。
戦争がおわって帰国した貴族青年たちは、改革について相談しあった。1816年、「救済同盟」という秘密結社がペテルブルクにつくられた。中心になったのは、ニキータ・ムラヴィヨフ、アレクサンドル・ムラヴィヨフ、セルゲイ・トルベツコイ公爵、ムラヴィヨフ・アポストル兄弟などであった。いずれも近衛師団の将校か名門貴族である。

世界の歴史〈22〉ロシアの革命 (河出文庫)

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