ネーデルラントがなぜヨーロッパの倉庫となったかといえば、まずその地理的条件である。ネーデルラントの東方の海であるバルティック海は、ヨーロッパの南部がオットマン・トルコに抑えられて以来、中欧、東欧、ロシア全域に及ぶ極めて大きな市場と生産地を背後に持っていた大通商路貿易地域であった。
また、ヨーロッパ中部はライン河がその貿易の幹線であった。したがってライン河の河口に位置し、バルティック海、大西洋に面しているネーデルラントが地理的に最も適していて、トルコの進出による地中海貿易の衰退とともに、ヨーロッパの中継貿易の中心となった。
フランスの主要輸出品であるワインも、収穫し醸造した頃にはバルティック海は氷結してしまうので、ネーデルラントの倉庫にまず送り、雪解けを待って中欧、東欧に輸出された。また、バルティック沿岸の主な産品である木材と穀物のようなかさばる商品(バルキー・トレイド)の貿易には、そのための専用に造られ、船の容積に較べて乗員の数が少なくてすむネーデルラントの船が適していて、英国船のような多目的船はコストで太刀打ち出来なかった。
繁栄と衰退と―オランダ史に日本が見える (文春文庫)
山崎元一『古代インドの文明と社会』中公文庫 pp.170-171
ナンダ朝は二世代三十年ほどの短命な王朝であったが、この王朝が果たした旧秩序の破壊者としての役割は重要である。中国史との比較でいえば、ナンダ朝は秦、それに続くマウリヤ朝は漢に相当する。秦は旧秩序を破壊して中央集権支配のために改革を性急に断行し、自身は短命であったが漢帝国の繁栄への道を開いた。これと同じくナンダ朝は、次のマウリヤ朝による帝国建設のための露払いの役目を果たしたのである。
前320年ころマガダ国の辺境で兵を挙げたチャンドラグプタは、都のパータリプトラに攻め込んでナンダ朝を倒し、マウリヤ朝を創始した。かれはその後ただちに西方に進軍して、アレクサンドロスの死後の混乱状態にあったインダス川流域を併合し、さらにデカン方面へも征服軍を送った。
ギリシア側の文献によると、チャンドラグプタの軍隊はナンダ朝の軍隊の約三倍、歩兵だけでも六〇万、騎兵は三万、象は九〇〇〇、戦車は数千であったという。ここにインド史上はじめて、ガンジス・インダス両大河の流域とデカンの一部を合わせた「帝国」が成立した。
チャンドラグプタはさらに、前305年ころアレクサンドロスの東方領の奪回を目指して侵入してきたセレウコス・ニカトールの軍を迎え撃ち、その進軍を阻んだ。そして、講和条約を結んで、五〇〇頭の象と交換に現在のアフガニスタン東部の地を獲得した。四年後にこの象の大部隊は、西アジアの覇権をかけたイプソスの戦いにおいて、セレウコスの勝利に貢献することになる。
世界の歴史 3 古代インドの文明と社会 (中公文庫 S 22-3)
前320年ころマガダ国の辺境で兵を挙げたチャンドラグプタは、都のパータリプトラに攻め込んでナンダ朝を倒し、マウリヤ朝を創始した。かれはその後ただちに西方に進軍して、アレクサンドロスの死後の混乱状態にあったインダス川流域を併合し、さらにデカン方面へも征服軍を送った。
ギリシア側の文献によると、チャンドラグプタの軍隊はナンダ朝の軍隊の約三倍、歩兵だけでも六〇万、騎兵は三万、象は九〇〇〇、戦車は数千であったという。ここにインド史上はじめて、ガンジス・インダス両大河の流域とデカンの一部を合わせた「帝国」が成立した。
チャンドラグプタはさらに、前305年ころアレクサンドロスの東方領の奪回を目指して侵入してきたセレウコス・ニカトールの軍を迎え撃ち、その進軍を阻んだ。そして、講和条約を結んで、五〇〇頭の象と交換に現在のアフガニスタン東部の地を獲得した。四年後にこの象の大部隊は、西アジアの覇権をかけたイプソスの戦いにおいて、セレウコスの勝利に貢献することになる。
世界の歴史 3 古代インドの文明と社会 (中公文庫 S 22-3)
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