山崎元一『古代インドの文明と社会』中公文庫 pp.170-171

 ナンダ朝は二世代三十年ほどの短命な王朝であったが、この王朝が果たした旧秩序の破壊者としての役割は重要である。中国史との比較でいえば、ナンダ朝は秦、それに続くマウリヤ朝は漢に相当する。秦は旧秩序を破壊して中央集権支配のために改革を性急に断行し、自身は短命であったが漢帝国の繁栄への道を開いた。これと同じくナンダ朝は、次のマウリヤ朝による帝国建設のための露払いの役目を果たしたのである。
 前320年ころマガダ国の辺境で兵を挙げたチャンドラグプタは、都のパータリプトラに攻め込んでナンダ朝を倒し、マウリヤ朝を創始した。かれはその後ただちに西方に進軍して、アレクサンドロスの死後の混乱状態にあったインダス川流域を併合し、さらにデカン方面へも征服軍を送った。
 ギリシア側の文献によると、チャンドラグプタの軍隊はナンダ朝の軍隊の約三倍、歩兵だけでも六〇万、騎兵は三万、象は九〇〇〇、戦車は数千であったという。ここにインド史上はじめて、ガンジス・インダス両大河の流域とデカンの一部を合わせた「帝国」が成立した。
 チャンドラグプタはさらに、前305年ころアレクサンドロスの東方領の奪回を目指して侵入してきたセレウコス・ニカトールの軍を迎え撃ち、その進軍を阻んだ。そして、講和条約を結んで、五〇〇頭の象と交換に現在のアフガニスタン東部の地を獲得した。四年後にこの象の大部隊は、西アジアの覇権をかけたイプソスの戦いにおいて、セレウコスの勝利に貢献することになる。

世界の歴史 3 古代インドの文明と社会 (中公文庫 S 22-3)

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