川北稔『イギリス 繁栄のあとさき』講談社学術文庫 pp.34-35

 そのつもりで、18世紀のアムステルダム金融市場のデータを見ると、この地で資金を借りた政府は圧倒的にイギリスであり、ほかには、スペインやプロイセンなどが少し顔を出す程度である。フランスが途切れとぎれに現れるのは、ようやく1770年前後のことである。この頃には、ドイツの中・小領邦をはじめ、ロシア、ポーランドなど、ヨーロッパ中の弱小国が、ここで資金調達にあたるようになっており、自己資金で運用できるようになったイギリスは、かえって後退している。
 17世紀のヘゲモニー国家オランダは、18世紀には、なお残る金融面での優位を利用した金利生活者(ランチエ)国家となった。イギリスとフランスは、この世紀に覇権を争ったものの、結局、「オランダ資金」を引きつけたイギリスが、ほとんどすべての戦争を制する結果となった。19世紀の「パクス・ブリタニカ(イギリスの平和)」、つまり「イギリスのヘゲモニー」は、こうして生まれたのである。

イギリス 繁栄のあとさき (講談社学術文庫)

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