コメの輸出自体はすでに「開国」前から存在しており、古くはアユッタヤー時代にまで遡る。ところが、19世紀に入り東南アジアに列強諸国から本格的に進出し、植民地経済が構築されていくと、島嶼部を中心にコメの需要が急増した。すなわち、島嶼部において列強諸国が特定の商品作物栽培を奨励あるいは強制した結果、消費用のコメを外国に依存する必要が生じたのである。この島嶼部の「米蔵」として注目を浴びるようになったのが、大陸部の三つのデルタ、すなわちエーヤワディー、チャオプラヤー、メコンの各デルタであった。以後タイにおける商品作物としてのコメの栽培の急速な拡大をもたらし、これまで人家もまばらで猛獣の跋扈していたチャオプラヤー・デルタが運河掘削によって一大水田地帯へと変貌する契機でもあった。タイのコメ輸出量は、バウリング条約締結当時は年五万トン程度に過ぎなかったが、19世紀末には五〇万トンに達するまでに拡大した。
物語タイの歴史―微笑みの国の真実 (中公新書 1913)
柿崎一郎『東南アジアを学ぼう』ちくまプリマー新書 pp.31-32
1884年にベトナムの植民地化を完了したフランスは、三国干渉の結果ベトナム(越)から雲南(滇)へ至る滇越鉄道の敷設権を確保し、1910年までに全線を開通させました。この滇越鉄道の起点となったのがハノイの外港であったハイフォンであり、終点は雲南省の省都・昆明でした。この鉄道は昆明に到達した初の鉄道で、第二次大戦後に中国国内から鉄道がのびてくるまで、雲南省と外界とを結ぶ文字通りの生命線として機能していました。
1937年に日中戦争が始まると、中国の蒋介石が率いる国民党政権は長江(揚子江)中流の重慶に拠点を構え、日本に対する抗戦の拠点としました。この重慶に対して、アメリカやイギリスなどの後の連合軍は支援物資を輸送することになり、日本側に妨害されないような輸送ルートを探しました。これがいわゆる援蒋ルートと呼ばれるもので、その際に最も便利なルートが、この滇越鉄道を利用するルートでした。このため、第二次大戦が始まって1940年にフランスがドイツに敗退すると、日本は援蒋ルートの遮断を名目にフランス領インドシナ(仏印)北部への軍隊の進駐を認めさせたのです。やがて日本軍は仏印南部にも軍隊を進め、1941年12月にマレー半島とタイへ侵攻することでいわゆる太平洋戦争が始まるのです。
東南アジアを学ぼう 「メコン圏」入門 (ちくまプリマー新書)
1937年に日中戦争が始まると、中国の蒋介石が率いる国民党政権は長江(揚子江)中流の重慶に拠点を構え、日本に対する抗戦の拠点としました。この重慶に対して、アメリカやイギリスなどの後の連合軍は支援物資を輸送することになり、日本側に妨害されないような輸送ルートを探しました。これがいわゆる援蒋ルートと呼ばれるもので、その際に最も便利なルートが、この滇越鉄道を利用するルートでした。このため、第二次大戦が始まって1940年にフランスがドイツに敗退すると、日本は援蒋ルートの遮断を名目にフランス領インドシナ(仏印)北部への軍隊の進駐を認めさせたのです。やがて日本軍は仏印南部にも軍隊を進め、1941年12月にマレー半島とタイへ侵攻することでいわゆる太平洋戦争が始まるのです。
東南アジアを学ぼう 「メコン圏」入門 (ちくまプリマー新書)
越智道雄『大英帝国の異端児たち』日経プレミアシリーズ pp.127-128
この状況で1874年、二度目の政権を奪ったディズレーリは、どうしたか?ついに「露土戦争」(1877~78年)が勃発、キリスト教と救出を名目にバルカンに侵攻したロシアが勝って、ビスマルクが戦後処理にかこつけて自国の勢力を扶植すべく「ベルリン会議」(1878年)を開いた。プロイセンにバルカンで漁夫の利を占めさせれば、すでに普仏戦争(1870~71年)に大勝したプロイセンが、ロシアに加えて新たな脅威となる。まずディズレーリが女王を「インド女帝」に祭り上げたが、それは以下の戦略に基づいていた。
(1)ロシア皇帝より格上げし、中央アジアをロシアから奪取してカスピ海以西に封じ込める。(2)そのためにアフガニスタンに侵攻までした。(3)そこで彼はプロイセン、ロシア、トルコの間に割って入り、バルカン四国の独立に対してはトルコのためにケチをつけた(ブルガリアの完全独立を阻止)。(4)ロシアにはカフカスの領有権だけで抑えた。(5)さらにディズレーリは抜群の海軍力にもの言わせてダーダネルス海峡に艦艇を派遣して示威行為を展開、ちゃっかりキプロスの占領行政権をせしめて、ビスマルクに「あのユダヤ爺めが、やりおるわ」と舌打ちさせたのである。
結果的にプロイセンにロシア封じ込め役まで押しつけたディズレーリは、以後三十六年間、ヨーロッパから戦火を遠ざけた。まさに「一角獣」が、縦横無尽に突きまくったのである。
大英帝国の異端児たち(日経プレミアシリーズ)
(1)ロシア皇帝より格上げし、中央アジアをロシアから奪取してカスピ海以西に封じ込める。(2)そのためにアフガニスタンに侵攻までした。(3)そこで彼はプロイセン、ロシア、トルコの間に割って入り、バルカン四国の独立に対してはトルコのためにケチをつけた(ブルガリアの完全独立を阻止)。(4)ロシアにはカフカスの領有権だけで抑えた。(5)さらにディズレーリは抜群の海軍力にもの言わせてダーダネルス海峡に艦艇を派遣して示威行為を展開、ちゃっかりキプロスの占領行政権をせしめて、ビスマルクに「あのユダヤ爺めが、やりおるわ」と舌打ちさせたのである。
結果的にプロイセンにロシア封じ込め役まで押しつけたディズレーリは、以後三十六年間、ヨーロッパから戦火を遠ざけた。まさに「一角獣」が、縦横無尽に突きまくったのである。
大英帝国の異端児たち(日経プレミアシリーズ)
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