柿崎一郎『東南アジアを学ぼう』ちくまプリマー新書 pp.31-32

 1884年にベトナムの植民地化を完了したフランスは、三国干渉の結果ベトナム(越)から雲南(滇)へ至る滇越鉄道の敷設権を確保し、1910年までに全線を開通させました。この滇越鉄道の起点となったのがハノイの外港であったハイフォンであり、終点は雲南省の省都・昆明でした。この鉄道は昆明に到達した初の鉄道で、第二次大戦後に中国国内から鉄道がのびてくるまで、雲南省と外界とを結ぶ文字通りの生命線として機能していました。
 1937年に日中戦争が始まると、中国の蒋介石が率いる国民党政権は長江(揚子江)中流の重慶に拠点を構え、日本に対する抗戦の拠点としました。この重慶に対して、アメリカやイギリスなどの後の連合軍は支援物資を輸送することになり、日本側に妨害されないような輸送ルートを探しました。これがいわゆる援蒋ルートと呼ばれるもので、その際に最も便利なルートが、この滇越鉄道を利用するルートでした。このため、第二次大戦が始まって1940年にフランスがドイツに敗退すると、日本は援蒋ルートの遮断を名目にフランス領インドシナ(仏印)北部への軍隊の進駐を認めさせたのです。やがて日本軍は仏印南部にも軍隊を進め、1941年12月にマレー半島とタイへ侵攻することでいわゆる太平洋戦争が始まるのです。

東南アジアを学ぼう 「メコン圏」入門 (ちくまプリマー新書)

関連記事s