羽田正『モスクが語るイスラム史』中公新書 pp.122-123

 11世紀後半のイランやイラクで、セルジューク朝が政治権力を握ると、その領域では政府によって多数のマドラサが建てられるようになる。特に有名なのは、セルジューク朝の宰相、ニザーム=アル=ムルクがバグダードやイスファハーン、ニーシャープールなどの大都市に建てたニザーミーヤと呼ばれるマドラサだった。これらのマドラサでは、主としてスンナ派の法学が教授され、これを修めたウラマーと呼ばれる知識人は、次第に政府の官僚や裁判官(カーディー)として社会で活躍するようになっていった。ニザーム=アル=ムルクは、シーア派のブワイフ朝治下で発展が阻害されていたスンナ派の法学を立て直し、スンナ派法学者を活用することによってカリフを宗教的権威とするスンナ派体制を維持、発展させようとしていたと言われる。マドラサの建設を積極的に推進し、有能なスンナ派学者を作り出すことはそのためにも必要不可欠だったわけである。
 セルジューク朝のシリアへの進出にともなって、ファーティマ朝の支配から離れたシリアでも、12世紀になるとマドラサが建てられるようになる。この世紀半ばすぎにアイユーブ朝が成立すると、マドラサの建設は、ますます盛んとなった。シーア派のファーティマ朝を滅ぼしたアイユーブ朝の立場は、ちょうどブワイフ朝を滅ぼしたセルジューク朝のそれに似ていたからである。アイユーブ朝の治下で多数のマドラサが建てられるのは、セルジューク朝の場合と同様に、スンナ派知識人を養成し、ファーティマ朝の遺したシーア派色を一掃してスンナ派体制を確立するという政策のためだった。

モスクが語るイスラム史―建築と政治権力 (中公新書)

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