そのうちに、宋代にいたって、道教中心の思想体系はそのままに、ただ用語を古い儒教の経典のものでおきかえた新儒教が出現した。周敦頤(1017~1073年)・張載(1020~1077年)・程顥(1032~1085年)・程頤(1033~1107年)らがその代表者で、福建の新開地の地主の朱熹(1130~1200年)の手によってこれが完成し、総合的な思想体系となった。これが新儒教で、また宋学、朱子学、道学、性理学ともいう。新儒教は、万物の根源を理・気の二気とし、気よりも理に優位をあたえる理学を唱えた。
中国文明の歴史 (講談社現代新書)