坂本勉・鈴木董編『イスラーム復興はなるか』講談社現代新書 p.178

 1850年代末までにカザフスタンとカフカスとの完全な征服を完了したロシアにとって、キジルクム砂漠とカスピ海の彼方にひろがるトルキスタンは、南方のイギリス勢力圏を牽制する第一の戦略要地となった。ここで軍事的な勝利がえられれば、それはクリミア戦争(1854-56年)での敗北の屈辱をぬぐい、帝国の威信も回復するはずであった。
 そして、アメリカ南北戦争(1861-65年)のために原料綿花の輸入が激減すると、トルキスタンの綿花はロシアの木綿工業にとって決定的に重要な原料となった。それは1915年にはロシアが必要とした原料綿花の実に六八パーセントを占めることになるのである。
 1864年、ロシアはコーカンド・ハーン国に対する軍事遠征を敢行し、翌年には中央アジア最大の商業都市タシュケントを占領した。コーカンド・ハーン国のたびかさなる支援要請にもかかわらず、みずからも「東方問題」に呪縛されたオスマン帝国になすすべはなかった。ロシア軍の攻撃についてブハラ・ハーン国軍の侵略とキルギスの反乱とにさらされたコーカンド・ハーン国は、1876年ついに滅亡し、肥沃なフェルガナ地方はロシア領となった。

イスラーム復興はなるか (講談社現代新書―新書イスラームの世界史)

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