坂本勉・鈴木董編『イスラーム復興はなるか』講談社現代新書 pp.156-157

 カージャール朝廃止の機会をねらうレザー・シャーは、1924年秋から共和制運動を起こした。これは、前年に建国が宣言されたトルコ共和国にならって、彼の主導でイランにも世俗的な近代国家をつくろうとするものであった。成功したあかつきには、尊敬してやまないアタテュルクにならって、レザー・シャーが大統領の座につくはずであった。
 しかし、この共和制運動は、彼の思惑をこえて別な方向に展開していった。シーア派ウラマーが共和制に反対する声をあげたからである。イランのウラマーは、トルコでカリフ制が廃止された結果、イスラームがないがしろにされ、ウラマーの力が削がれたことを知っていた。共和制樹立によって同じような状況がイランに生じることを、ウラマーは恐れていたのである。
 レザー・シャーは、このウラマーを先頭にした共和制反対運動を巧みに誘導し、ついには彼自身を大統領にではなく国王にすえる王制運動にすりかえていった。そして、1925年、共和制運動は換骨奪胎されパフラビー王朝が成立した。ウラマーの時代錯誤な判断の誤りがレザー・シャーに幸いしたのである。

イスラーム復興はなるか (講談社現代新書―新書イスラームの世界史)

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