しかし、一方では内憂外患もつづいた。バルカンにおいては、近代西欧のナショナリズムの影響下に政治的独立を求めはじめた、非ムスリム諸民族の動きも強まりつつあった。そして、これに対するヨーロッパ列強の介入も増やしつつあった。このような状況下で、1829年には、セルビアの自治が認められた。1821年以来のギリシア独立運動も、1830年のギリシア独立をもたらした。
他方、エジプトでは、特権拡大をめざすエジプト総督メフメット・アリ・パシャ(ムハンマド・アリー)が、1813年には、セリム3世時代以来メッカを占領してきたワッハーブ派追討の命令を実行し、ギリシア独立戦争にあたっても出兵して、スルタンに対し実績をつみかさねた。そして1823年には、オスマン中央政府に対し公然と反旗をひるがえし、オスマン軍をコンヤの戦いで破った。さらに1839年にもネジプの戦いで、ふたたびオスマン政府軍を大破した。
アラブ地域のさらに西方、アルジェリアは1830年、フランスにより占領された。
イスラーム復興はなるか (講談社現代新書―新書イスラームの世界史)