加藤隆『歴史の中の『新約聖書』 』ちくま新書 pp.35-37

紀元前8世紀後半に、メソポタミアでアッシリアの勢力が強大になり、北王国が滅ぼされてしまいます。
 この時に南王国は、外交的にうまく動いて、アッシリアの属国のような地位になったとはいえ、とにかくも独立を保ちます。南北に分かれていた王国の一方だけが滅んで、他方が存続したということが重要です。
 国が滅ぶということは、その国を守るべき神が動かなかったことを意味します。このような神は、頼りにならない神、ダメな神、として見捨てられるのが古代の常識です。
 南北の両方が滅ぼされていれば、ヤーヴェ崇拝は終わってしまって、歴史の闇の中に消えていったと思われます。しかしこの時に、南王国が残っていました。南王国は、北王国よりもヤーヴェ的伝統が強いところでした。南王国のダビデ王朝の王は、「神(ヤーヴェ)の子」とされていました。土地は、神が与えた土地でした。エルサレムにある神殿は、「神の家」「神の住むところ」とされていました。
 ユダヤ人たちの中には、ヤーヴェを見限った者も少なくなかったかもしれませんが、そのためにかえって、南王国には「ヤーヴェ主義」の傾向が強い者たちばかりが残ったということも考えねばならないかもしれません。
 いずれにしても南王国では、ヤーヴェ崇拝を簡単に捨てられませんでした。しかし、北王国という一つの国が滅んだということは、ごまかしようのない大きな事実です。「頼りにならない神」ということになったヤーヴェ、こんな神は崇拝できないというのが常識的な判断です。しかしヤーヴェ崇拝は捨てられない。
 ここで神学的に大きな展開が生じました。簡単に言うならば、ヤーヴェを「ダメな神」と考えないで済ませるために、「民」の側が「ダメ」なのだと考えることにしたのです。
 もう少し言うならば、「契約」の考え方を神と民の関係にあてはめて、「民」が「罪」の状態にあると考えることによって、神の「義」を確保する、ということが行われました。

歴史の中の『新約聖書』 (ちくま新書)

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