そして、ローマは戦術を変えた。カンネの戦いの後ローマ軍の司令官となったファビアスは、ハンニバルという名将に対して決戦を挑むことを避け、カルタゴ軍につきまとってその弱い部分をたたくという遊撃戦をおこなったのである。この戦法は成功し、ファビアスはゲリラ戦の最初の実行者として後世にも名を残した。
たとえばそれはフェビアン協会の語源となった。フェビアン協会は、言うまでもなく社会主義の協会であり、英国労働党の起源の一つである。フェビアン協会の創始者たちは資本主義に対して正面からこれを打倒しようという決戦を挑むことは馬鹿げている、と考えた。その代り、ファビアスがしたように、少しずつ相手を傷つけ、最後に資本主義に対する勝利を収めようというのが彼らの考えであった。
文明が衰亡するとき (新潮選書)