男性の間に参政権が拡大してゆく19世紀という時代は、産業革命すなわち工業化の進展による資本主義経済とその価値観が広まってゆく時代でもありました。かつては、男性も女性も畑仕事や生産活動に従事していたため、男性と女性の権利にはそれほど大きな違いはありませんでした。しかし、男性が土地を離れて労働者になったり、工場を経営したりするようになり、産業社会が発展した結果、「男が外で働き、女は家庭を守る」という、性による役割分業が強まっていったのです。
ところで、このような性別に基づく不平等を定着させてしまったのは、誰だと思いますか?それは皆さんも必ず知っている「あの人物」ですよ。
女性も畑仕事や副業を営むことで生産活動に関与していた時代には、男女の不平等はさほど大きなものではなく、財産や家督の相続も男性と同様に可能でした。
1789年に始まるフランス革命では人権宣言(正式には人および市民の権利宣言)が出され、人間の自由や平等が掲げられ、そのようなフランス革命の成果を「定着」させたと言われる1804年の『民法典』は、「夫はその妻の保護義務を負い、妻はその夫に服従する義務を負う」と第213条で規定し、続く第214条で「妻は夫とともに居住し、夫が居住するのに適当であると判断する場所にはどこへでも夫に従う義務を負う」と定めていました。
さらに、妻は財産の所有権や管理権を否定されたため、経済的な自立も不可能となりました。この『民法典』は日本を含む世界各国の法典のモデルとされましたから、どこの国でも女性の立場と権利は同じようなものになってしまいます。
この『民法典』は別名『ナポレオン法典』と呼ばれます。そう、女性を家庭に閉じ込めることに「貢献」してしまったのは、あのナポレオンだったのです。誰もが知っている有名人であるあのナポレオンには、このような側面もあったのですね。
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