飯塚信雄『フリードリヒ大王』中公新書 pp.6-7

 ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ3世(1657-1713)の母はオランダのオラニエ(オレンジ)侯女ルイーゼ・ヘンリエッテであり、その兄、オラニエ侯ウィレム2世の息子ウィレム3世こそ、イギリス王女メアリーと結婚して1689年共にイギリス王位を継ぎ、ウィリアム3世を名乗ることになった人物である。つまり、選帝侯の母方の従兄弟にあたる。
 さらに、文化的にもはげしい競争相手だった隣国ザクセン選帝侯のフリードリヒ・アウグスト1世(1670-1733)は1694年、すでにポーランド国王に推挙されている。こちらは正真正銘のポーランド王(König von Poland)になっているのだ。そして、フリードリヒの妻の里、ハノーファー選帝侯家ではイギリスのアン女王の死後には、ハノーファー選帝侯ゲオルグがジョージ1世としてハノーファー朝を興すことに話が進んでいた。そして、1701年の王位継承法によって、ジョージは1714年イギリス王となる。
 だから、王位を持たないがために不愉快な席次を強いられるフリードリヒが、何でもいいから王の称号を、と必死で願う気持ちは理解できる。

フリードリヒ大王―啓蒙君主のペンと剣 (中公新書)

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