余談になりますが、ドイツに対する講和を話し合うパリ講和会議が開かれたのは、1919年1月18日でした。これは1870~71年のプロイセン-フランス戦争(普仏戦争)で勝利したビスマルクらプロイセンが、フランスのパリ郊外にあるヴェルサイユ宮殿でドイツ帝国の成立を宣言したその日からちょうど48年目に当たる日です。
また、ドイツに対するヴェルサイユ条約が調印されたのは1919年の6月28日で、これは第一次世界大戦のきっかけとなった1914年のサライェヴォ事件と同じ日でした。これらは偶然の一致と言い切ることができるでしょうか?戦勝国であるイギリスやフランスによる、ドイツに対する「復讐」という側面があることを感じずにはいられないエピソードではないでしょうか。
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