1550年代は、そうした倭寇の活動が最高潮に達した時期であった。同時に北方でもモンゴルの活動が活発化し、50年にはアルタン率いるモンゴル軍が長城をこえて深く侵入し、八日間にわたり北京城を包囲した。「北虜南倭」と連称されるモンゴルと倭寇の危機がこの時期同時に高まったのは偶然ではない。北方の軍事的な緊張が高まるほど軍事費は増大して中国の銀需要は強くなり銀需要が強くなるほど日本銀流入の圧力は高まる。このように「北虜」と「南倭」とは、遠く離れた中国の北と南で、銀を媒介に深い関係をもっていたのである。
東アジアの「近世」 (世界史リブレット)