森安達也・南塚信吾『東ヨーロッパ』地域からの世界史(朝日新聞社) pp.159-160

 1848年革命の挫折後、東欧の民族エリートは、その要求の実現を、列強の権力政治に便乗することによって果たそうとするようになった。
 バルカンで代表的なのは、クリミア戦争を利用してオスマン帝国からの独立を達成しようとしたルーマニアの例である。ルーマニア正教会の保護を口実にロシアがオスマン帝国と戦ったのがきっかけで始まった1853-56年のクリミア戦争ののち、ワラキア地方とモルドヴァ地方はフランスのナポレオン3世の支援を受けて自治公国となった。1861年に両公国が同一の君主を選んで合体したあとも、この「ドナウ二公国」は列強の影響を受け続けた。
 それでも、多くのバルカン諸民族においては、列強への期待よりもなお蜂起という道が考えられざるをえなかった。1865-67年には、セルビア公国が中心になって、ルーマニア、モンテネグロ、ギリシア、ブルガリアのあいだに、バルカン同盟が結ばれ、オスマン支配に対する一斉蜂起の計画がたてられるのだった。

東ヨーロッパ (地域からの世界史)

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