山内進『十字軍の思想』ちくま新書 pp.72-73

 ローマ教皇は、キリスト教世界の指導権を自己のもとに置こうとした。世界がキリスト教世界であるならば、その支配権は教皇のもとにある。教皇はそう主張した。その論理に従えば、国王や皇帝はそのローマ教会と教皇の守護役人でしかない。聖と俗の分離とは、ローマ教皇にとって、聖が俗を主導することを意味した。したがって、教皇は聖の論理のもとに俗の暴力を利用し、そのことによって自己の指導性、支配力を高めようとした。教皇が求めるかぎりにおいて、その暴力は聖戦だった。
 聖戦には、それだけの理由が必要である。キリスト教世界の指導者・支配者であることを自認し始めたローマ教皇にとって、何が最適の対象だろうか。それは、イスラム世界だった。強力な異教徒からキリスト教世界を守ること。異教徒の支配からキリスト教徒を解放すること――ローマ教皇が全キリスト教徒に呼びかけるのに、これほど明快な理由があるだろうか。
 事実、イスラム教徒と戦い、エルサレムを解放しようと最初に考えたのは、ウルバヌス2世ではなく、グレゴリウス7世だった。グレゴリウス7世は、「キリスト教世界の頂点」に立つことを望んだ。彼は先鋭な教会改革者として、ローマ教皇こそカトリック教会の創始者、十二使徒のかしらである聖ペテロの首位権にもとづく、全カトリック教会の最高権威であることを強調した。

十字軍の思想 (ちくま新書)

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