ルターとトルコの脅威と十字軍への反対との間に、どのような関係があるのか。いぶかしく思う人も多いだろう。しかし、それはかなり密接に関係している。
ヨーロッパはなぜこのような状況に陥ったのか。トルコになぜ負けつづけるのか。トルコはなぜヨーロッパに迫ってくるのか。15世紀後半から16世紀前半にかけて、この事態に深い疑問を抱く人々が現れていた。誰が悪いのか。なるほどトルコ人は異教徒で、彼らは敵かもしれない。だが、彼らの進出もまた神のなせる業ではないのか。だとすると、それはどう解釈されるのか。キリスト教徒は何をなすべきなのか。鋭敏な人々はそう考えはじめていた。
フィレンツェの宗教改革者サヴォナローラ(1452-89年)もその一人だった。彼は十字軍に賛成せず、むしろ教会の腐敗を攻撃した。将来トルコ人はキリスト教に改宗する可能性があり、それは「誤ったキリスト教徒の処罰」と軌を一にするだろう。彼はそう主張した。そもそもトルコの勝利は、内戦と堕落した教会に対する神の怒りである。神の怒りの表現である異教徒は反キリストの使者、あるいは神の懲罰の道具にすぎない。そのような異教徒と戦うことははたして必要なのか。有益なのか。それは、本当に合法なのか。彼はそう問いかけた。
この改宗の可能性については、神学者であり哲学者であるニコラウス・クザーヌスもまた重視していた。彼はコーランの研究を進め、キリスト教とイスラム教の類似点を考察した。彼の『コーランの検証』は、イスラム教徒をキリスト教徒に改宗させることを目的としたもので、彼の友人でローマ教皇ピウス2世に献呈された。
クザーヌスと同じ線上でトルコに対しようとしたのが、偉大な人文主義者エラスムス(1466-1536年)だった。エラスムスもまた、コーランのうちにキリスト教的要素のあることを認め、イスラムの理論の「半分」はキリスト教だと主張していた。彼にとってトルコ人は、キリスト教のアーリア的異端だった。したがってエラスムスの場合、トルコ人と戦うのではなく、むしろ彼らに改宗を勧める方が適当と考えられた。
十字軍の思想 (ちくま新書)