村上陽一郎『ペスト大流行』岩波新書 pp.164-165

ルターはドイツ語の聖書を作ったことで知られている。だが黒死病の荒れ狂う真只中で、オックスフォードのジョン=ウィクリフ(J.Wycliffe,c.1320-84)を中心とする聖書の英語への翻訳運動が完成したことを、われわれは見落とすべきではないのである。
 クラウズリー=トンプスンは『歴史を変えた昆虫たち』のなかで、こうした「日常言語」重用の思想を黒死病の直接的影響の一つとして挙げている。イギリスにおける、ラテン語はもちろんフランス語重視の態度は、ノルマン征服以降のイングランドの習慣となっていたが、黒死病によって、年配のフランス語教師たちがすっかりいなくなってしまった結果、フランス語やラテン語を知らない人びとが、イングランド語で発言することが可能になった、というのである。

ペスト大流行―ヨーロッパ中世の崩壊 (岩波新書 黄版 225)

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