水夫からたたきあげで海軍士官(航海長)になったジェームズ・クックは、フレンチ・インディアン戦争(1755-63)中のケベック包囲戦に航海長として参戦し、セントローレンス川河口の測量と海図の作成によりその手腕が評価された。1760年代になると、強風が吹き荒れ、夏でも海霧に覆われるニューファンドランド島を五年間にわたって測量し、航行が困難な海域での海図の作成で功績を残した。クックが現場で身につけた優れた測量技術、海図の作成技術は、イギリス海軍本部、イギリス王立協会の注目するところになり、やがて新たなミッションがクックに与えられることになった。
1766年、王立協会は太陽の全面を通過する金星の観測を計画し、クックを観測船エンデバー号の船長として南太平洋に派遣した。観測の狙いは金星と太陽の距離の正確な計算だった。命を受けたクックは1768年にプリマスを出港、大西洋を南下して南アメリカ南端のホーン岬を迂回し、太平洋を横断する大航海の後にタヒチ島に到着した。そして三カ月間にわたり、王室天文官の金星観測を助ける使命を果たした。観測終了後、クックは海軍本部の指令で「プトレマイオスの世界図」以降謎とされて来た「未知の南方大陸(テラ・アウストラリス・インコグニタ)」の探検に転じることになった。探検の真の目的は、「未知の南方大陸」にあると考えられていた黄金の獲得だった。クックはタヒチ人を水先案内人として南方海域に乗り出し、ニュージーランド南島と北島の間の海峡(クック海峡)を発見した、そして更に、ニュージーランドの海岸線を詳しく海図化する。
海図の世界史: 「海上の道」が歴史を変えた (新潮選書)