臼井隆一郎『コーヒーが廻り世界史が廻る』中公新書 p.125

1761年から1788年にかけて一ポンドのパンの値段は、一スーから七スーに急上昇していた。パンの価格を穀物輸入によって維持するような芸当ができる国は、まだ大英帝国に限られていた。商品価格が自分で勝手に上昇するわけがない。市場のメカニズムに疎い農民にとっては、パンの価格上昇の裏に誰か悪意ある人間の手が潜んでいるはずであった。農民暴動が頻発する。1787年、フランス全土は不作に襲われた。フランス人口の85%が農民の時代である。その農業が打撃を受けたのである。1788年は完全な不作。そしてこの年の冬、一切にとどめを刺すかのように厳冬が続く。
 この時代の冬というものがどのようなものであるかは、ゴヤの『冬』(1787年)でおおよその察しはつく。しかし1788年から89年にかけての冬は桁が違った。ヴェネチアの潟すらも全面凍結し、人々はその上を歩いて渡った。ヨーロッパ全体が凍結したのである。

コーヒーが廻り世界史が廻る―近代市民社会の黒い血液 (中公新書)

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