1333年の中国、元の最後の皇帝、順帝の時代に大変な長雨が続き、黄河が氾濫を起こした。水は地上三メートルにも達し、人も家畜も水没した。一方、別な地域では旱魃に見舞われていた。
そこに蝗害が発生して、大飢饉となった。空が真っ黒になり太陽の光も届かなくなるようなトビバッタの大群がやってきたのだった。トビバッタの大群は農作物を一掃し、残ったのは田畑一面の昆虫の死骸だけだった。この時、食べ物のなくなったアジアから、たくさんのクマネズミがヨーロッパへ移動していったともいわれている。そしてこの天変地異のあとを襲ったのが、疫病の発生だった。
このような自然災害の続くなかで、政府の無策に対して、大規模な農民の反乱「紅巾の乱」が起こった。後に元を倒し、明の太祖となった洪武帝は、このとき紅巾軍の兵士だった。旱害に見舞われ、蝗がやって来て、飢饉の中で家族は疫病で倒れ、生き残ったのは十七歳の彼だけだったという。
一方、ヨーロッパは、気候が寒冷期に移行しつつあった。気候の変動期には旱魃や洪水、暖冬や寒冬というように極端な状態がくり返されるが、天候不順のうちにヨーロッパに小氷期がやってきたのである。
14世紀の初めは、雨の冷たい夏が続き、農作物は不作続きであった。当然のように食糧は不足し、やがて飢饉はヨーロッパの北部に広まっていく。1315年から17年にかけて、北部ヨーロッパでは飢饉がますます酷くなり、農民はイラクサ、アシの葉、イバラなどの草の葉まで食べて飢えをしのいだ。この飢饉の波は二十年をかけて南下し、温暖な南の地方にも浸透していく。
農村では餓死者が相次ぎ、農民の離村と、それにともなう廃村もあった。慢性的食糧不足から来る劣悪な栄養状態のなかで人口は停滞し、さらには減少していく。そのうえ、アジアやイタリアを地震が襲った。イタリアでは地震の揺れで教会の鐘が鳴り出して人々に恐怖を与え、さらに津波が押し寄せた。
自然災害、天候不順による凶作、飢饉に加え、この時期のヨーロッパ西部は百年戦争の戦禍にも巻き込まれている。このような極限状態を背景にして、黒死病はやって来たのだった。
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