臼井隆一郎『コーヒーが廻り世界史が廻る』中公新書 pp.64-65

 やがて商業資本と産業資本との矛盾が激化する。当時、貿易の支払いは銀で行なわれており、銀を支配するものが世界貿易を手中に収める仕組みになっていた。圧倒的な優位に立つのは、世界の銀生産量の90%を占めるメキシコ、ペルーを植民地として持つスペインであった。そのスペインの覇権も長くは続かない。メキシコ、ペルーはもとより、南北アメリカの植民地が銀と交換に欲していたのは毛織物であり、したがって強大な毛織物産業を有する国こそが世界貿易を支配する仕組みになってくるのである。羊が決め手であった。羊のいる風景、それはもはや牧歌ではなく、「羊が人を殺す」光景、スケープ・ゴートたる農民が「囲い込み」によって土地を追われ、賃金労働者となり、毛織物工業の機械化とともに始まる産業革命の幕開きである。
 商業資本は国内の毛織物工業の育成を図らねばならない。とはいえ、商業資本家には価格格差が生命である。製品の価格は最低限に押さえねばならない。これは産業資本家には不満である。17世紀のイギリスは、産業資本が商業資本に対して闘争を挑み、優位を獲得するに至る時代であった。産業資本が、王権と深く結びついた巨大独占商業資本に対して起こした闘争の特殊な性格が、ロンドンのコーヒー・ハウスの特殊な性格を説明するのである。
 王権と巨大商業資本が従来の「公の世界」を占有していたのに対し、産業資本家は「民間人」であり、公権力の行使に参与を許されない人間、その意味では私人であった。つまりは「いまだゼロ」であるところの第三階級である。その彼らが王権と商業資本に対して闘争を展開し、産業資本の利益を追求するためには、従来の公の世界とは違う「公的世界」に訴える他なかった。いわば中世的な「公衆浴場」のぬるま湯に浸っていた公衆が、産業資本主義のイデオローグたちによって湯舟からたたき出され、王や政府の「公権力」に対抗する近代的権力ファクターとして動員されるのである。しかし動員しようにも、イギリスはまだ無い無い尽くしである。新聞、ラジオ、テレビ、ダイレクト・メール、電話。なにもない。商業資本と産業資本のイデオロギー的対決はパンフレットと口コミを使って、この新たな権力ファクターとなりつつある、判断し批判する公衆を、いかに自己の側に引き入れるかにかかっていた。ちょうどその時、新種の公共的制度、コーヒー・ハウスが生まれていたのである。

コーヒーが廻り世界史が廻る―近代市民社会の黒い血液 (中公新書)

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