臼井隆一郎『コーヒーが廻り世界史が廻る』中公新書 pp.199-201

 ドイツ革命が海軍から始まったのは、まったく物の道理に従ったというべきである。海軍は戦争全体を通してすこぶる暇であった。余暇はあらゆる創造的解放的行為の源泉である。戦争初期の海戦の後まったくの膠着状態が続き、クックスハーフェン、ヴィルヘルムスハーフェン、そしてキール軍港の海軍兵士はなす術もなく毎日を送っていた。ジャガイモでも栽培するか、サッカーでもやっていれば良かったのかも知れない。しかし、どういうわけか、有効な余暇利用はなされなかった。食事も悪ければ、コーヒーもない。カラ元気も出ない。持て余した暇を革命的行動に直結させないためには、知的な会話で暇をつぶすのが一番である。ところが致命的なことに、海軍の知性的部分はU・ボート作戦に駆り出されており、一般兵士が毎日まみえる上官は早い話、知性を欠いた退屈な上官ばかりだったのである。一つ所に掻き集められ、毎日、退屈な上司と知性を欠いた会話を重ねながら、暇をつぶしていかなければならないほど不愉快なことはない。その挙げ句に、戦争もおしまいになった時点で出撃命令が出され、ヴィルヘルムスハーフェンを出航した水兵はついに堪忍袋の緒を切らし、反乱を起こしたのである。反乱兵士は逮捕され、キール軍港に送られることになった。そのキール軍港で水兵たちは「レーテ(協議会)」を結成し、ドイツ革命の火蓋を切ったのである。戦前、皇帝ヴィルヘルム2世はプロイセンの年来の宿願である海外雄飛を夢見て、バルト海と北海を直結する運河を完成させ、「ドイツの未来は海上にあり」と豪語していた。ドイツの未来が海上にあるならば、皇帝の未来も海上にあるはずであった。キールに燃え上がった火の手がたちまち運河を経てヴィルヘルムスハーフェンに飛び火したのが運の尽き。兵士の反乱は全海軍に広がり、ホーエンツォレルン家は海の藻屑と消えたのである。

コーヒーが廻り世界史が廻る―近代市民社会の黒い血液 (中公新書)

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