司馬遼太郎『韓のくに紀行 街道をゆく2』朝日文庫 p.224

 高句麗はこれまでは利口であった。北朝にも南朝にも朝貢していた。ところが南北朝とも隋にほろぼされたとき、その大波を高句麗はもろにかぶってしまった。
 高句麗はあわてて、この時期、モンゴル高原にいる突厥という遊牧民族国家と同盟をむすんだ。隋にとってはこれは迷惑で、蕃国の連盟は辺境の脅威であるため、しつこく高句麗を攻めた。代わって唐帝国が出現すると、同様の理由で高句麗を攻めた。高句麗はそのつど果敢に防戦し、つねに大唐帝国の大軍を撃退した。朝鮮史上、最強の国家であったであろう。
 新羅は、それをみていた。
 「むしろ大唐帝国と結ぶべし」
 という知恵が、その国際的窮境のなかで当然湧いて出たのである。

街道をゆく (2) (朝日文芸文庫)

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