宮崎市定『アジア史概説』中公文庫 p.284

 豊臣秀吉の朝鮮の役もまた、明の鎖国主義にたいする抗議の変形したものであった。すなわち尋常の手段では、大陸と平等の立場にたって自由な国交貿易を行なうことができないので、まず朝鮮に兵を進めて明と国交を開く契機をつかもうとしたのである。秀吉の前後二回の朝鮮出兵に際して、明は朝鮮をたすけるために大軍を送ったが、この輸送路にあたる南満遼東地方は、そのために侵されると同時に、交通の頻繁化によって物資が活発に動いた。このことは満州奥地に住む女真人に経済的な利益を与えたことも疑いない。そしてこれまでの中国人と女真人との対立は、いまや中国側の譲歩によって緩和され、明は対女真人の兵備を朝鮮に移動させたので、女真人が代わって遼河平野の沃地に進出する機会が与えられた。この時、女真人の中核となって活発な運動を開始したのが、遼河の支流である渾河の渓谷に居住する建州左衛の愛新覚羅氏であったのである。

アジア史概説 (中公文庫)

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