杉山正明『モンゴル帝国の興亡〈下〉』講談社現代新書 pp.226-227

 そのポスト・モンゴル時代、際立った大現象として、モンゴルほどではないけれども、モンゴル以前ではありえなかったような「大帝国」が、一斉に出現する。アジアでは、ヨーロッパとアフリカの一部を含む形で、東・西・南・北に四つの大単位の帝国が、長期にわたって並び立つ状況となった。
 東では、明帝国、そして17世紀半ばからは、大清帝国である。西では、オスマン帝国。南では、中央アジアを本拠に四周を切り従えたティムール帝国が16世紀、インドにまで南下して、ふつう「ムガル朝」と称せられる帝国をつくる。そして北では、300年余のモンゴル支配の中から16世紀半ば、ロシア帝国が浮上する(ロシアはずいぶんと長い間、東向きにシベリアとアジアへ「陸進」する。久しくロシアは、アジアに力点のかかった帝国であった。西向きにヨーロッパへ向かうのは、むしろその晩期である)。
 これらは、いずれも大型であるだけでなく、長い命をもつ帝国となった。最も早く解体したムガル朝という名の「第二次ティムール朝」でさえ、18世紀の後半まで続く。ティムールから通算すれば、なんと400年。インド帝国としても、250年余の生命を保った。そして、残る三つはすべて、20世紀にまで至る「老大国」となった。大清帝国は1911年、オスマン帝国は1922年、ロシア帝国は1917年に、それぞれ別々の「革命」で消滅する。

モンゴル帝国の興亡〈下〉 (講談社現代新書)

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