宮崎市定『アジア史概説』中公文庫 pp.185-186

 インドに最初の大統一をもたらしたマウリア王朝のアショカ大王の即位は、ペルシアのダリウス大王に遅れること約250年である。アショカ王がしばしばその領土を巡航して新附の民に王者の威徳を知らせ、いたるところに碑銘を刻んで官吏民衆に訓戒を垂れ、あるいは監察政治を強化して人民の福利安定を増進させようとしたことは、明らかにダリウスの先例に習い、ペルシア政治様式を意識的に採用したものであろう。
 同様のことは、さらに約50年をおくれて中国に出現した秦の始皇帝の政治方針についてもいえる。始皇帝が六国を平定すると、たびたび地方を巡狩して石に刻んで功を記したことは、それ以前の中国ではほとんど見なかったことであり、東は燕斉にいたり南は呉楚にいたる馳道を造って遠隔の地を国都咸陽に結合し、文字を一定にし、貨幣の重量を定めたことなどはたんに偶然の一致としてだけでは見逃せないものである。西アジアと中国との交通は歴史の記載に現われるものを待つまでもなく、すでに有史以前から行なわれた実証があるから、それ以後、時に断続はあっても、意外に密接な連絡のあったことを想像した方が事実に近いであろう。

アジア史概説 (中公文庫)

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