臼井隆一郎『榎本武揚から世界史が見える』PHP新書 pp.16-18

 クリミア戦争はヨーロッパの国民国家形成時代の幕開けであった。発端は、フランス・ナポレオン3世が聖地イェルサレムの管理権を求め、オスマン・トルコがこれを認めたことにある。これを不服としてロシアがトルコに宣戦布告すると、フランスとイギリス、さらにサルディニア公国が、トルコを支援して参戦した。
 この組み合わせからしてすでに画期的である。17世紀以来、イスラム世界の雄としてキリスト教ヨーロッパ世界を威圧しつづけていたオスマン・トルコ帝国が、あろうことか英仏の支援を受けているのである。キリスト教ヨーロッパの分断政策がトルコのしたたかさであるとしても、オスマン・トルコ帝国自体は確実に弱体化している。オスマン・トルコの弱体化はしかし、地中海からバルカン半島、アラビア半島に至る全域で民族独立運動を加速させるだろう。しかも英仏はすでにイスラム教のトルコ帝国よりも、ロシア帝国により大きな脅威を覚えているのである。
 ロシアはオーストリアの参戦を期待した。ロシアのロマノフ王朝とオーストリアのハプスブルク家は、そもそも、ともにナポレオンを打ち破って以来、固い結束を誇ってきた仲である。
 しかしオーストリアは中立を保ったばかりか、ロシアに英仏との講和を要求した。ロシアとオーストリアの協調の終焉、それはロマノフ王朝とハプスブルク家という二大王朝の下に、ヨーロッパ各地の民族主義を押さえ込んできたウィーン体制の終焉を意味している。ヨーロッパ全体に国民国家への道が開かれ、それに乗じたサルディニア公国の参戦である。サルディニア公国のねらいはイタリア統一であり、イタリア統一運動の興奮はすぐにアルプスの彼方のドイツを筆頭に北欧諸国に感染し、またすぐにバルカン半島に跳ね返るだろう。

榎本武揚から世界史が見える (PHP新書)

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