イラン立憲革命は、日露戦争で火がつけられたともいえよう。戦争が起きると、その影響でロシアから砂糖の輸入が止まり、テヘランでは砂糖の値段が高騰した。砂糖は何によらず、紅茶好きのイラン人には欠かせない甘味料である。
もちろん、カージャール朝(1796~1925年)におけるロシアに関連した借款の増大と、新しい関税制度への反感こそ、イラン立憲革命の大きな引き金になったことはいうまでもない。そして大事なのは、シーラーズィーに限らず、イランの人びとのなかには、日露戦争における日本の勝利をロシアの専制に対する立憲王制の勝利と考える者が多かったことである。
帝国のシルクロード 新しい世界史のために (朝日新書)