宮田律『中東イスラーム民族史』中公新書 p.72

 9世紀になると、シュウービーヤ運動(アッバース朝初期、アラブと非アラブとの平等を主張したイスラームの文化運動)が盛んとなり、その結果イラン人は、イスラームの信仰をもちながらも、ペルシア語を使用するようになった。行政用語や歴史的著作、神学などはアラビア語で書かれたが、詩は圧倒的にペルシア語で詠まれる。
 その背景には、イラン人が、フィルダウスィー(934~1025)の『シャー・ナーメ(王書)』などを通じて自らの過去を振り返っただけでなく、『王書』がペルシア語の標準語をイラン人の間に浸透させ、ペルシア語方言の使用を大いに減ずることになったことなどが挙げられる。『王書』は、イスラーム以前の古代イランに関する一大叙事詩であるばかりでなく、「新ペルシア語」の基礎ともなったのである。

中東イスラーム民族史―競合するアラブ、イラン、トルコ (中公新書)

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