三十年戦争は、第二次世界大戦前ヨーロッパで最大規模の戦争ともいわれるが、ことに上ライン地方の惨禍は想像を絶した。多くの町村が何度も戦火によっては解され、人口は8割近く減少した。戦後1648年のウェストファリア条約で、リシュリューの目的はみごとに達成されることになる。フランスはドイツの分裂を決定的なものとし、ハプスブルク家に致命的な打撃を与えた。三百余りのドイツ諸邦(王国、公国、司教領、伯領、帝国都市など)は、それぞれ国家主権が与えられ、相互間または外国との同盟条約締結の自由が認められた。これにより、ハプスブルク家の下のドイツ帝国(神聖ローマ帝国)は、もはや形骸を維持するにすぎなくなった。
一方この条約によって、ラインをめぐる政治地図は根本的に塗り変えられた。ライン上流地域のスイスと河口のオランダの独立が正式に承認された。さらにドイツは、ライン左岸へのフランスの領土拡大を許す結果となった。ロレーヌ(ロートリンゲン)のメッス(メッツ)、トゥール、ヴェルダンの三司教領をフランスは最終的に獲得し、ストラスブールをのぞくアルザス(エルザス)の主要部分がフランスに帰することになった。
ライン河―ヨーロッパ史の動脈 (岩波新書)